話題(II)
今回は、ある仮想事例をご紹介致します。
調理師のAさんは、かねてから、独立して小さくとも皆に好かれる飲食店を経営したいと言うのが夢でした。そのAさん、長年の夢かなって、いよいよ独立することになりました。飲食店を始めるに際して、Aさんは、独立するときには必ず使おうと前々から考えていた、ちょっと変わったネーミングを屋号として飲食店を始めました。そして、こんな屋号は誰も考え付かないだろうし、まあ、そんなに店を大きくするわけでもないからと言う理由で、商標登録をすることは全く考えませんでした。それに、開店当初はいろいろとお金が必要なことが多く、商標登録にまでとても手が回りませんでした。
数年が経ち、Aさんの飲食店経営も軌道に乗り始めました。そこで、Aさんは支店を出すことを考えました。事業を拡大するので、宣伝の意味から多くのお金をかけて立派なホームページも立ち上げました。支店の経営も順調に進み始めました。事業は順調に進み、毎日の忙しさからAさんは商標登録のことなどすっかり忘れていました。
そんなある日のことです。突然、内容証明郵便で警告書が送られてきたのです。びっくりして読んでみると、別の飲食店が、同じようなネーミングを屋号として使用しており、既に商標登録を受けていたのです。警告書には、Aさんに対して、Aさんの屋号の使用を直ちにやめるようにと記載されていました。
Aさんもこれにはさすがに参ってしまい、直ぐに専門家である弁理士に相談しました。その弁理士の話では、取り得る手段は三つ、一つは今の屋号を変更すること、他の一つは先使用権を主張すること、もう一つは警告してきたその人から、Aさんが自らの商標を使用し続けることができる権利を許諾してもらうことでした。
一口に屋号を変更すると言っても、今まで数年に亘って使用してきた屋号であり愛着もあります。何と言っても、その屋号には、既に多大な信用が備わっているのです。加えて、屋号を変更するとなれば、看板、メニュー、箸袋、伝票、領収書、封筒、印鑑、名刺、ホームページ、食器類等に至るまで変更しなければなりません。これには莫大な費用が必要です。かと言って、先使用権を主張することも容易ではなく、いずれにしても、大変な費用と労力を有するものでした。また、警告してきた人はライバルの飲食店であり、とても使用権など許諾して貰えそうにもありません。
上記のAさんの例からもお分かりになるように、このように未登録のまま屋号などの商標を使用し続けることは大きな危険性をはらんでいます。Aさんのように警告されることは稀かもしれません。しかし、これに該当する方は、このような警告を受ける可能性があることを十分にご承知おき下さい。
自らの商標と同一又は類似の商標を同一又は類似のサービス(商品)について、他人に先に商標登録がなされると、自ら使用を続けていた商標であっても、その商標の使用は商標権の侵害となります。
従って、いくら重要な商標であっても、これまで使用し続けていた商標の変更を余儀なくされてしまうのです。その他人より先に商標の使用を開始しているときには、先に使用していること、及びその商標(上記の例で言えば、屋号)が周知であることを法廷で立証することができれば、先使用権が認められ、その商標の使用を継続できます。しかし、その商標が周知であること、即ち、需要者に広く知られていることを立証することは非常に困難であり、先使用権が認められることは極僅かです。たとえ、先使用権が認められたとしても、それに要する費用は、商標権取得に必要な費用をはるかに上回ります。
話題(I)でご説明致しましたように、商標登録出願をして商標登録を受けて10年分の存続期間の登録料を支払うと10万円程度のお金が必要となります。これにより、商標権は10年間維持されるわけですから、1年間当りのコストは1万円程度と言うことになります。従って、お金がかかるから商標登録をしないと考える方は、その商標は1年間当り1万円程度以下の価値しかないと言うことになるのです。
もし、未登録の商標で変更が難しいものを有しているであるならば、これからでも間に合う場合もありますので、未登録のままとしておくのではなく、商標登録を考えることをお勧めします。この段階で商標登録ができないと分った場合には、ご使用になっている商標の早期変更を考慮する必要があるのではないでしょうか。